2016年03月30日

003 らしくないブラシ、らしいブラシ

ブラシが好きで、たくさん集まっている。

なぜブラシが好きなのかは謎である。ブラシ好きが昂じて、11年前にはベルリンのブラシのお店を、4年前にはストックフォルムのブラシのお店を訪ねた。


ブラシは本来、欧米では目の不自由な人の手先仕事だった。

アメリカでもブラシにはそういう歴史があるとジム•ルイスから聞いていた。


http://dim-berlin.de/manufaktur/


ベルリンのお店はDIE IMAGINARE MANUFACTOUR (The Imaginary Manufactory  -DIM)という。

サイトでは 、people with and without disabilities つまり健常者とそうでない人たちによって作られていると書かれている。

効率を上げることを目的とした量産の世界とは対極にある。


ベルリンのブラシたちはとても独創的な発想で作られていて、ときにはブラックユーモアやジョークで、楽しいメッセージをくれる。

例えば、ネイルブラシ。NAILには爪と釘の2つの意味がある。通常 ネイルブラシといえば爪磨き。ところが、彼らのネイルブラシは釘にブラシが埋め込まれている。釘に埋め込むのはたいへんだっただろうと思う。

またTOOTH BLUSHは通常歯ブラシのこと。ところが、彼らのTOOTH BLUSHU字型の木の土台にブラシが歯のように埋め込まれている。しかも端っこのひとつは黒い色のブラシ。虫歯だ。


ユーモアやウィットでブラシの顔を作る。ながめていると、創り手の顔がうかんでくる。素朴でいて気品がある。ブラシという日常使いのものだから、遊ぶことで日常を笑い、日常をゆたかにしている。


ストックフォルムのお店は、日本でも人気のあるiris hantverkである。

ここでは14人のうち5人の視覚障害のある職人がスエーデンの伝統に沿ったブラシ作りをしているとある。同様に視覚障害のある職人とエストニアでも仕事をしているとある。

19世紀、このビジネスがスタートしたときは、視覚障害のある人たちだけが携わっていて、指先の繊細な感覚で優れたブラシを作っていたそうだ。


http://www.irishantverk.se


irisのブラシは実用的な形で、デザインが北欧らしくシンプルでクラシックな魅力にあふれている。ブラシというツールのアイコンとも言えるデザインで、ライフスタイル全体を包み込むスタンダードがある。


Irisのブラシだと、くつ磨きにも力が入る 。


お店は、ストックフォルムのにぎやかな通りにあった。

ストックフォルムの街では、男性も女性もシックな黒い洋服を着こなし、黒いキャンバス地のクラシックな乳母車を押していたのがとても印象に残っている。自転車も黒で、形や構造のバランスが美しく、ライダーたちは整然と街中を疾走していた。こういうシャープな凝らない北欧の美意識が、irisのブラシにも表れている。


原則を守り、足るを知るデザイン。


ブラシ好きの理由がなんとなくわかってきた。

アイコニックなデザインと 天然素材を生かす機能美が、だれにでもある、自分にも与えられている日常というステージに素直に響いてくるのだと思う。

何より、ブラシは持っていて贅沢をしているという罪悪感が薄い。


ブラシぐらいいいじゃないという気持ちが、つもりつもって今のコレクションになっている。

(写真のブラシは他のブランドのものも含まれています)


brush_6647.jpgbrush_6652.jpgbrush_6653.jpgbrush_6657.jpgbrush_6665.jpgbrush_6672.jpgbrush_6681.jpgbrush_6690.jpgbrush_6697.jpgbrush_6704.jpgbrush_6715.jpgbrush_6725.jpgbrush_6727.jpgbrush_6730.jpgbrush_6735.jpgbrush_6739.jpgbrush_6744.jpgbrush_6749.jpgbrush_6755.jpgbrush_6758.jpgbrush_6766.jpgbrush_6767.jpgbrush_6770.jpgbrush_6796.jpgbrush_6801.jpg

posted by YOKO at 01:14| Comment(0) | General Market

2016年03月17日

女性の生き方 1

10-book inside_5447.jpg

平野麻子さんという女性がいる。


2011年に「大切な人の看取り方」という本を翻訳出版した。原本はアメリカ人ホスピス看護師 デニー•コープが書いた。デニーとは、ジム•ルイスを看取った後、ホスピスでボランティアをしていたときに知り合った。

昨年12月、デニーからメールが来た。日本人女性で本を読んだ人がコンタクトしてきたという。当時、私は自分自身のサイトをリニューアルするために2、3ヶ月閉じていたため、 私に直接コンタクトができなかったという事情があった。

すぐに、コンタクトをしてくれた女性、平野麻子さんにメールを返した。

1月、東京でお会いして、いろいろお話をうかがった。


いろいろな女性に出会ってきた。それぞれ魅力的な生き方をしている。

彼女はその中でも格別にユニークだった。


もとは女優さんで(どうりで、美しい)若いころ、灰とダイアモンドを映画化、数々の受賞歴を持つ映画監督アンジェイ•ワイダを師事して、演劇の勉強にポーランドへ渡る。現地で知り合った当時学生だったポーランド人と恋に落ち結婚、二人目の子供が生まれる前に、ポーランド政変(連帯運動)の動乱の中、日本に帰国。その後はふたりの子供を一人で育てられた。

子供さんは成長して、その後、ポーランドの実の父親との対面をはたされた。


麻子さんはその後再婚され、7年前にその方の最期を看取られた。

「大切な人の看取り方」に出会ったのは、最近のことで、誰もが通っていく死のプロセスについて、冷静に具体的にわかりやすく解き明かすことで、看取る、看取られるという負担や不安の大きいプロセスを、軽くしてくれる本の内容に衝撃を受けて、娘さんが英語のレターを作成、デニーにコンタクトしたというストーリーとなる。


翻訳者の私が感じた以上の感動をたぶん麻子さんは感じてくれたと思う。


私自身の想いは、すでにオリジナルを読んだときに最高値に達していて、それからは日本語訳という作業に徹していた。当時の飛鳥新社の編集者だった島口典子さんとのやりとりは 現実的で、私は感情的なことを通り越して、出版というリアリティに徹していた。

時を移さず、あの3.11の津波が日本を襲った。父をホスピスで看取っていた最中だった。出版を遅らし、そして、父が静かに逝った。



平野麻子さんは、「大切な人の看取り方」の読み聞かせを始められた。もともと女優さんなので、発声の訓練を受けている。朗読を生涯の仕事として、さまざまな形での活動をすでにされている。

書き言葉としての本の内容を、語り部として、さらにその表現を深めないといけないことを想像すると、これからの平野麻子さんの活動には注目すべきものがある。


死について語ることががタブー視されるわりには、だれもが死ぬ。


生まれることを喜ぶのは当然だが、死ぬことを隠したり、敗北視したりしてしまうのは、文明人特有の価値観なのだろうか?

かくいう自分も、それほど死について積極的に考えるほうではない。当然、死ぬのは怖いし、大切な人を失うことは耐え難い。

ただ、平野麻子さんのような女性が現実的に登場してくださったことを、むしろ明るい光が射したように感じる。

彼女が語る死や看取りそのものが、彼女が経験してきた人生のゆたかさや喜怒哀楽や人間愛によって深いものになっていくことはまちがいない。


草の根のひたむきさと強さが、麻子さんの魅力だ。


終末期鎮静や看取りの現実など、日本ではある種不確実な了解や認識が表面化で進行し、それがある日突然、常識になっていることに気づく。常識とまではいかなくても、ある日、誰もが知ることになっているという不思議な社会現象がある。



看取る、看取られるの現実や立場に関係なく、一度、平野麻子さんの朗読会を訪れてみていただけたらと思う。

(「大切な人の看取り方」は飛鳥新社から出版された後、再版されていない。本の内容については朗読会で知ることをお勧めしたい。)



5月までの朗読会は3月22日火曜日午後7時/4月21日木曜日午後1時/5月24日午前9時

小田急線の鶴川駅北口より徒歩2分、「和光大学ポプリホール プレイルーム」にて。

朗読のあと、座談のような形でおしゃべりの時間予定しているそうです。

posted by YOKO at 11:23| Comment(0) | topics

2016年03月06日

Less is More. 持たない、ゆたかさ。

glass or water.jpg

職業柄、モノが増える。サンプルやプロトタイプ、カタログ撮影用に送られてきたもの、旅先で得た想い出込みのもの、もちろん好きで買ったものなど。

どれも手放せない。

ガレージセールをやったり、オンラインで売ったり、寄付したり、人にもらっていただいたり、ここ8年近い時間をかけてモノを減らすプロジェクトに取り組んできた。増えるのは簡単だが、減らすのは簡単ではない。ゴミなら捨てられるし、リサイクルもできるが、モノはそうはいかない。


何も無い箱としてのスペース(部屋)に、慎重に選んでモノを足していく行為は楽しくてポジティブになれるが、すでにほぼ満杯のスペースから、慎重に選んでモノを減らしていく行為には、ある種の哲学が必要になる。


この哲学に人は魅力を感じ、あこがれ、助けられ、そして時には哲学のみで終息する。


Less is More. は「持たない、ゆたかさ」というコンセプトで、寝具レンタルのニュービジネスモデルに取り組むクライアントのために用意した。

ヴァージニア州レストンに住んでいたアメリカ人のライフスタイルからインスパイアされた個人的ないきさつが背景にある。


物質的に持たないこと(Less)で、精神的な満足を得ること(More)が、理想的なセオリーとなる。

ただ、Lessイコール、即、Moreにはならない。

Less Moreの間に、物質的なゆたかさから解放されることで得るゆとり(スペース)を精神的な満足で満たしていくライフスタイルが不可欠となる。 この部分が達成されないと、単にストイックを強いることになり、かえってストレスが増える。そのストレスを埋めるために、また物質的な満足に走り、事態はさらに複雑になる。


“More than enough.”とよくアメリカ人が言う。

直訳すると充分以上という意味で、過剰になることを防ぐ、必要以上の行為や量を抑える場合の使いやすい表現である。

その場合、もちろん、何が充分であるのか、その適量、適度を知っていないといけない。


ニューオリンズ生まれで 、東大建築学部を卒業したANZY BROWN氏が日本の江戸時代のライフスタイルについて書いたユニークな本“Just Enough” がある。(日本語版「江戸に学ぶエコ生活術」)

自然にさからわず、創意工夫で、 健全かつゆたかに暮らしていた当時の人々の価値観とライフスタイルをイラスト入りで、分析、解説している。

Lessons in Living Green From Traditional Japan.

というサブコピーでもわかるように、自然環境と共に生きることが条件だった当時の暮らしの知恵が事細かに紹介されている。


自分自身の仕事をときおり虚しく感じることがある。

これ以上作ってどうなるのだろうか?という単純な疑問がわいてくる。

もちろん、人の暮らしを素敵にするデザインはたくさんあるし、そういうデザインをするデザイナーもたくさんいる。


そんな中で、せめて心がけることは、本物を見極める目を養うこと。

本物は人でいうと、穏やかで寡黙であたたかい人。

穏やかで、寡黙で、あたたかいモノが見つかると、また手に入れたくなる。

そういう人と出会うと、親しくなりたいと思うのと同じだ。


そうやって、今日もモノを減らすプロジェクトは続く。

posted by YOKO at 02:01| Comment(0) | journal